祝・卒団

シンゴがサッカーを始めたのは小学校入学前。「サッカーやりたい。」の言葉に「待ってたゼ!」と嬉しそうな父の顔。今でも覚えています。
ファイターズへの入部は3年生。すぐに父も!?入部。いつの間にか監督に…。

父が監督という事で甘えがあり、わがままな態度をとってシンゴ一人、練習の途中で帰らされた日もありました。
でも、父と子、同じ目標で走り続けた4年間は二度と味わえない、最高の宝物となりました。


シンゴはスピードもパワーもなく決してストライカータイプの子ではありません。
大開脚したり、ボールじゃなくて自分が飛んだり跳ねたり…。「少林サッカー」か!?
ケガをしないか、いつもハラハラしながら見ていました。実際、ケガも多かったです。
この子、サッカー向いてるの?他のスポーツの方がいいんじゃない?正直、何度か思いました。
でも、今では父譲りの見事な「サッカーばか」に成長し、サッカーボールを抱いて、毎晩寝ています(笑)


泣いたり、笑ったり、怒ったり、感動したり、本当に熱い日々で(我が家の食卓の、「ほか弁」率は、かなり上がりましたが)シンゴはもちろん、父母もファイターズでたくさんの事を学ばせてもらいました。
そして子供達には、勝ち負けも大事ですが、それ以上に苦しいとき声を掛け合った仲間、協力してくれた家族の支えがあったことを忘れてほしくないと思います。


みんなは卒団して新しい道を歩みだしますが、みんなとのサッカーが生き甲斐だった父は、まだしばらくは、子供達離れができなくて、みんなのDVDを観ては思い出に浸り、またウルウル(T-T)してしまうんじゃないかな。
若葉マークの頼りない監督を慕ってくれた11期生のみんな、本当にありがとう。


最後に、いつも相談にのっていただき無理を聞き入れて下さった古俣代表、倉田総監督、ボランティアスタッフの皆様、
どんな時にも駆けつけて下さり、いつも一緒に過ごして下さった小松原監督、
事務局長本間ご夫妻、
共に応援し、楽しい時間を過ごした保護者の皆様、大変お世話になりました。


心より感謝いたします。



                     竹内  陽子(シンゴ  母)

 

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コメント: 5
  • #1

    コーチ 本間 (土曜日, 08 3月 2014 17:19)

     3年生の途中から親子揃って入部してきたシイゴ。 
    キャプテンとしてピッチの内外でチームをよくまとめてくれました。

     本当はキーパーをしたいのにチーム事情で真ん中やトップをやったりと我慢をさせた感も
    ありましたが、与えられたポジションでその軟体を駆使し、しっかり結果も残してくれました。
     また、シンゴがキーパーでない試合でも、ハーフタイム中にてっちゃんや奨にアドバイスをしている姿をよく見掛け、勝ちたい!!という気持ちが誰よりも強く伝わってきました。
     ただ、大事な時になると怪我や風邪をひいたりと監督(父)を悩ませていたので、中学ではコンディション調整も頭に入れて頑張って下さい。

     やはり守護神として想い起すのは4年生の時のテニーかな。点をなかなか取ってくれないフィールドをしり目に、雨あられのように跳んでくるシュートをことごとく止め、決勝トーナメントでは2回のPK戦を勝ち進みベスト8となりました。
    あれからPK戦の不敗神話が出来ましたが、今となっては何処にいったのやら...(泣)
     フィールドでもチームで唯一、周りを見れるシンゴは真ん中でも体を張って頑張ってくれました。
    一緒にやっている子供たちが一番分かると思いますが、どこにいても見つけてくれてドンピシャリのパスを配ってくれました。お父さんの鋭才教育の賜物(たまもの)かな!?

     グラウンドでも家でもサッカーの話が絶えない竹内家だったのではないかと思います。

     二束のわらじで駆け抜けた小学サッカーだったけど、中学では大好きなキーパーに専念し、活躍してくれる事を期待しています。

     最後になりましたが、遠い横浜から毎週のように帰って来ては練習や試合に疲れた顔を見せずにやり抜いてくれた竹内さん。
     竹内家が居てくれたからこの学年がやってこれたと思います。本当に感謝、感謝です。

     竹内家の期待を胸に頑張れ!! シンゴ !!  君ならできる!!


  • #2

    監督 竹内 (日曜日, 16 3月 2014 20:55)

    シンゴが「サッカーをしたい」と言った時、本当に嬉しかった。
    シンゴには私の現役でのプレーを見せたかった、一緒にサッカーがしたい、それが私の夢でした。
    大怪我をしまた年齢的に現役を引退し、プレーを見せる事が出来ませんでしたが、このファイターズに入団しそして監督という場を与えて頂き、一緒にサッカーが出来て、本当に幸せでした。

    監督であり父である私が言うのもなんですが、キャプテンとして、またチームの中心選手として、良くがんばったと思います。
    本当はキーパーをやりたかったのに…。そんなこともあまり口に出しませんでした。我慢してたと思います。
    逆に試合中は「シンゴなんとかしてくれ! 」と私が何度も願うこともあり、そしてチームのピンチも何度も救ってくれました。チーム事情とは言え、よくやってくれたと思います。

    私にとって自慢の息子です!。誰にも文句は言わせません。

    これからは新しいチームで、父が監督でありません。
    精神的にも弱く、甘えた所もまだあるシンゴ、厳しい環境の中もっともっと人間的に成長して欲しいと思います。
    今度は大好きなキーパーで活躍して下さい。

    先日「感謝の気持ちは言葉に出さないと相手に伝わらない」と、授業参観であったらしいです。
    本当にその通りだと思います。
    私がこうして4年間監督として活動出来たのも、古俣代表、倉田総監督はじめボランティアスタッフ、どんな時も駆けつけてくれた小松原さん、本間コーチ、小俣コーチ、勝沼審判、11期生保護者の皆さん、みなさんの支えがあったからのお陰だと思います。
    「本当にありがとうございました。幸せでした。」

    そして何よりこんな私をいつも支えてくれた、家族、妻陽子には頭が上がりません。
    本当は言葉に出して言わなければならないことですが、中々上手く言えません、この場を借りて

    「ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。」

    11期生としての活動は終わります。
    監督もファイターズを卒団します。
    でも、一生君たちの監督でありたいと思っています。

    二十歳になったら、みんなで酒を飲もう!

  • #3

    小松原 (土曜日, 22 3月 2014 00:42)

    鳥屋野ファイターズ11期生へ、失礼ですが、まとめてコメントします。

    「竹内監督が仕事の関係で指導ができなくなるので、新5年生の手伝いをして欲しい」というクラブの要請で、5年生から皆さんと一緒にファイターズを過ごすことになりました。途中からでしたが快く迎えていただき、本当にありがとうございました。とても嬉しかったです。
    保護者のみなさんはもちろん、突然現れた変なオジサン(1961年生まれなので選手のみんなとは40歳違いです)を受け入れてくれた子どもたちに感謝です。

    みんながサッカーをするときの“ちから”になれていたでしょうか?
    みんなと過ごす時間が楽しかったので、いろんな所へ一緒に行きました。そのたびに保護者の皆さんには、大変お世話になりました。

    なにを話したらいいのか…。まとまりが無くてすみません。

    みんなに伝えたいこと
      卒団式で倉田監督の言っていたこと。「感謝の気持ちを忘れずに」
      「感謝の気持ちを持つこと」 これが第一段階。
      第二段階は「感謝の気持ちを言葉に出して相手に伝えること」
      さらに上の段階には「感謝の気持ちは形にして相手に伝える」というのもあるけれど、まずは 「感謝の気持ちを持つこと」これに尽きます。

    保護者の皆さんへ
      何度か話したことがありますが、「頑張っている子どもたちを褒めてあげてください」
      人を褒めることは難しいです。相手をよく見ていなければいけません。だから子どもが頑張っ ている姿をよく見てあげてください。

    皆さんには感謝の気持ちしかありません。謝恩会で頂いた“ピック”とてもありがとうございます。
    一緒に頂いたケースに入れて「お守り」としたいと思います。

    改めて、
    「2年間本当にお世話になりました。ありがとうございました。今井カップで逢いましょう。」



  • #4

    seks telefon (金曜日, 03 11月 2017 22:57)

    nierozpryskiwany

  • #5

    wróżka w okolicy (土曜日, 18 11月 2017 00:11)

    nienaprowadzany