「お世話になりました」

  2年間のファイターズ・ライフがもうすぐ終わります。
  将大は、小学校低学年から、『野球かサッカーがやりたい』と言っていました。しかし、遠征とか大変そう、とかの親の勝手な都合で、我慢させていました。しかし、どうしても、というので、当初はフットサルでお茶を濁していましたが、結局、みんながやるから、という理由で、(親的にはやむなく)5年生からファイターズにお世話になることになりました。両親ともサッカー経験なく、教えることもできず、わが子のプレーを観ても、いいんだか悪いんだかもわからず、お任せするのみでした。5年生の頃はプレー内容もパッとしない感じでしたが、本人はあまり気にしていないように見えました(本人は、そんなことはないと言っていますが)。親も、5年から始めたらこんなものか、と割り切っていました。ただ、冬頃に、練習試合などで、あまりに他チームの試合を観ずに遊んでいたりした時には、『サッカーやりたいだけなら、公園でやれ!上手になろうと思わないなら、わざわざファイターズでやる必要なはい!』と怒ったこともありました。
  6年春の寺泊でけがをしてしまい(ナルキ ごめん!!)、しばし、サッカーができなくなりました。何とか全少には間に合ったものの、いいプレーができませんでした。本人が、プレーオフで負けたあと、『負けたのは悔しいけど、その 試合に出てなかった方が悔しい』といっていて、この後から少し変わったかな・・・と思いました。真剣度が変わったか、と。秋から、ペースダウンすることを決めていたので、それもあったのかもしれませんが。
  柏崎マリンCは残念でした。将大も泣いてしまい、母もウルウルしてしまいました。その後、少年少女、Exile cupと、惜敗続きで、毎回、涙がちょちょぎれていました。
  秋以降、家庭の都合で、日曜は休ませていただいてしまい、ご迷惑をおかけしてしまいましたが、本人としては、限られた時間の中で頑張っていたようです。バーモント、東北電力とも2次まで行けて(運もよかったかもしれませんが)、よかったです。
  最後に、ファイターズを統括して下さっている古俣代表、クラブ運営にご尽力いただいている小山運営部責任者・野上副代表、ご指導いただきました、倉田監督、久住コーチ、布施コーチ、渋谷コーチ(家にまでお邪魔して、申し訳ありませんでした)、タカトウさん、彦さん、学年をまとめて下さった文さん、ほか、ボランティアスタッフの皆様、大変ありがとうございました。
  小林 将大(マサ)の 父母(小林 真、祐子)


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コメント: 1
  • #1

    監督 倉田 (金曜日, 13 3月 2015 17:28)

    小林さん・・・事務局のお仕事ご苦労様でした<(_ _)>
    面倒な事ばっかだったと思います。

    さて、マサですね(^^)
    マサの最初の印象も。。。ボールコントロールの↑上手い子だなぁ~と
    感じましが、同時に必要な場面での判断が遅くて損をしているなぁ~
    なんてことも思いました。
    6年生の全少予選後から確かにマサのプレーは変わりましたね(^_-)-☆
    やっぱ・・・頭のいい子なんですよ!
    後方のポジションにしたこともあり、前がよく見えているよーで的確な判断で
    パスを入れてくれるし、対人プレーに強く、ツブシも早い!!!
    このチームのダイナモであること間違いなし!(^^)!
    フットサルでも後ろでボールを動かし頑張ってくれました。
    中学でもマサはサッカーやるのかな???
    サッカーやるよね!?
    中学では、もっと余裕をもってプレーすれば.....マサなら大丈夫!
    慌てない、慌てない。。。。。あ・わ・て・な・い(笑)