『2年半ありがとうございました!』

 ユニフォームの背番号が一番大きい数字の佐藤康太郎です。
 サッカーが好きの私とは対照的にサッカーに全く興味を示さなかった康太郎が、突然「サッカーやってみたい」と言い出した4年生の秋。
 「しんきんカップ」での真剣勝負を見学したところからファイターズとしての日々がスタートしました。

鉛筆と箸は左利き、野球は右投げ右打ち。では利き足は?そんなことすらわからずはじめたサッカーで最初のポジションは「空いているから」ということで左サイドバックになりました。
 当然、クロスを入れるには左足で蹴らなければならず四苦八苦の毎日。それでようやく自分の利き足が右であることに気づいたくらい、0からのスタートでした。自由自在にプレーするチームメイト、そういった子達を指導してきた監督・コーチの皆さんからするとどれだけ足手まといの新入りだったか…。

 親としては「子どものプレーに一切口を出さないこと」と、
「“サッカーは楽しい”という気持ちを持ち続けてもらえるように」ということを思いながら見守ってきました。
「やる以上は、勝ち負けは重要」という意見が多いのは承知していますが、小学生のこの時期、結果より大切な「サッカーに取り組む姿勢」であったり、「チームメイトを思いやる心」であったり、そんな部分を磨いていってほしいという願いを込め見つづけていました。

 入団から2年半。
仕事が忙しく練習や試合にはなかなか行くことができなかったですが、
それでも見る度に上達具合がわかるほど、(下手なりに)うまくなっていました。
家でファイターズの話しを一切しなかった康太郎が、ここ数ヶ月くらいは自分から話すようになり、興味のなかったはずのJリーグや海外サッカーの話しを質問してきたり。喜び勇んで練習に出かけていく自転車の後姿を見るたび、ファイターズとサッカーが楽しいんだな、と安心しながら見送っていました。
そしてそれもひとえに、根気強く指導してくださった監督、コーチ、支えてくれたチームメイトの皆さんのおかげだと思っています。

本当にありがとうございました!


佐藤康太郎 父

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コメント: 1
  • #1

    監督 児玉 (金曜日, 25 12月 2015 01:05)

    佐藤さん、お疲れ様でした。あさチャンへの出演は、13期生や父兄への思い出に残るプレゼントになり、本当に有難うございました(_ _) サッカーでしか関わらない子供達ですが、将来の夢を語る姿を楽しく拝見させていただきました。
    康太郎が入部したときの印象は、ブログに書いてあった通り最初の頃は大変でした。(^_^;)チームの骨格がほぼ出来上がり、4年生のときはある程度の結果が出ていた頃でしたので、チーム内の練習意識も盛り上がっていました。入部した頃の康太郎は、おそらくルールやサッカー用語も理解していなかったのではないでしょうか。その中で練習についていかなければならなかった本人が一番大変だったと思います。それでもめげずに休むことなく練習に参加していたので、根性のある子だなと思いました。止める、蹴る、運ぶなどの基本がメンバーに追いつかない康太郎でしたが、5年生の夏頃の試合からベンチの指示が聞こえるサイドでは、非常に良いプレーをし始めました。(サイドが変わりベンチの声が聞こえないと・・・)きっかけは、倉田総監督の「走れコータロー」の声からだったように思えます。いつも強弱なく中途半端なにボールを追っていましたが、ベンチの前でその言葉で鼓舞すると見違えるようにボールを必死に追い、結果ボールを奪ってシュートまでいく回数が増えてきました。6年生になると、積極的にゴールを目指し得点シーンも増えました。家で話をするようになってきたそうですが、私にも質問をよくしてくるようになりました。彼が自信を掴んだ証拠だと思います。
    ファイターズでのサッカーは終わってしまいますが、努力していたことは決して無駄にならないはず。中学校でも努力を惜しまず、頑張って。
    走れコータロー、サイドを駆け上がれ!

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