「ファイターズに感謝!!」

 

 隼は小さい頃から、兄の涼の後を追いかけてばかりいる子供でした。

 

サッカーを始めたのも涼がサッカーしていたから。

 

ファイターズに入団したのも涼が10期生の執拗な?勧誘を受け入団を決めたからでした。

 

そんなきっかけで札幌から転校してきた3年生の11月からファイターズにお世話になることになりました。

 

札幌では試合に出たことのない隼は入団当初はただ立ち尽くすばかりでボールにさえ触ることもできない様な状態でした。余程悔しかったのか、暇さえあればリフティングの練習や家の中でボールを転がす毎日が始まりました。

 

 4年生の頃は異人池カップ悔し涙の準優勝!Teny杯での予選突破、そして笑顔のしんきんカップ予選突破に県大会出場と隼にとってもサッカーの楽しさを知った最高の1年間を過ごすことができました。

 

 5年生の時は精神的に成長した1年でした。夏までは求められる役割に隼もどうしてよいのかわからず悩んでばかりいました。一番のピークが7月の南浜交流戦でした。

 

浜浦との試合後に涙をこらえる隼をみて「泣くことも大事だよ」と声を掛けるとみんなには見えない場所で大泣きしたことを覚えています。その後からは何か吹っ切れたようにプレーする姿をみて自分なりの解決方法を見につけたのかなと感じました。

 

 6年生ではファイターズの仲間との絆を深めた1年でした。我が家に遊びにくるのはいつもファイターズ!サッカーでも学校でもいつも一緒で絆を深めていたようです。

 

 そのかいあってか?少年少女ベスト8や絆カップ準優勝、寺泊合宿や栃木遠征と笑顔が絶えない1年でした。でも全少では1発の恐さと大切さを学んだと思います。

 

 卒団後は皆それぞれの道を歩んで行くことになりますが悩むときや苦しい時は・ファイターズで教えて頂いたことを思い出して頑張って欲しいです。

 

 隼も上山中学校サッカー部で兄のなし得なかった北信越出場目指してサッカーを続けるようです。

 

 時には暖かく時には厳しくご指導頂いた児玉監督大変ありがとうございました。

 

ファイターズ運営に御尽力頂いた古俣代表、野上さん、小山さん、倉田総監督、小松原コーチ、ボランティアスタッフ、保護者コーチのみなさん大変ありがとうございました。

 

 そして最後に沢山の思い出を頂いた保護者とファイターズの子供達、本当にありがとう。

 

横田 隼の父(智之)・母(なほ美)より

 

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コメント: 1
  • #1

    監督 児玉 (金曜日, 25 12月 2015 01:10)

    横田さん、3年間お疲れさまでした。いつも夫婦一緒に、試合や練習を見学されていた姿が印象的でした。一見冷静に見える父はサッカーの試合になると熱血親父に変身。熱い応援をしていましたが、ピッチの中の隼はいつも小声で暴言を吐いていました(-_-;) 親子関係にヒビがはいりそうなので内容は書けません。
    隼が入部してきたのは3年の秋だったと思いますが、初めて見た時ボール捌きが上手く足も速い。おまけに持久力もありエース候補の一人になるなと思いました。期待を込めて試合にだすとイマイチ。お父さんに聞くと、「サッカースクールで習っていたが、試合経験がなかった」ということでその理由がわかりました。経験を積んだことでその不安も解消し、スタメンに名を連ねるようになりましたね。与えたポジションは左サイドバック。当時の隼は試合中のお約束がありました。お約束1 大事な場面で滑って転ぶ、つまずいて転ぶなど何度ピンチを招いたか。お約束2 オーバーラップの際、ツータッチ目が大きすぎてエンドラインを割り、幾度チャンスの芽を摘んだことか。毎回同じことを繰り返すので、ベンチでスタッフとメンバーで笑っていました。そんな隼が5年時にトレセンに受かるとは(@_@;)
    それからの隼は自信を持ったせいか、安定したプレーを披露し、ポジションもDFからゲームメーカーとしてMFに起用し活躍してくれました。最終的にはチームの得点不足解消の為、フォーメーションを3-3-1から2-3-2に変更した際、2バックのDFとして力を発揮しピンチの芽をいくつも摘んでくれました。真人との2バックは最強でした。これからもサッカーを続けて行くと思いますが、利き足でない右を普通に使えるようになればプレーの幅も出て、もっとすばらしいプレーヤーになると思うので頑張ってください。
    監督が一番信頼したディフェンダー「隼」、ファイターズの失点を防いでくれてありがとう(=^0^=) 更なる活躍を期待しています。